去年の8月9日、オシム率いる日本代表の初陣となったトリニダード・トバゴ戦の直後、国立周辺で川淵三郎日本サッカー協会会長に物申すデモが行われた。あの時、印象的だったのが「Jリーグ舐めるな!」というコールであった。デモの参加者は、そのほとんどが愛して止まないマイクラブを持っており、宗派や主義主張を超えて大同団結したのが、あのデモであった。彼らは共通して「代表偏重/Jリーグ軽視」の風潮を憂い、そして怒っていた。ジェフ千葉の監督だったオシムが、無理やり代表監督に“奪われていく”さまを見て、そうした横暴が決して他人事ではないことを、彼らは察知していた。それゆえに「Jリーグ舐めるな!」というコールが自然発生したのだ――と、今も私は確信している。
そのJリーグから、サポーターの気持ちを逆なでさせるような言葉が発せられた。ACL準々決勝でセパハン(イラン)に敗れた川崎フロンターレに対し、犬飼基昭Jリーグ専務理事は「Jリーグも頑張ってもらうためにチャーター機を用意したのに、その思いが通じなかった。サポーターを裏切ったことへの説明を求めていく」と発言。これと前後して、23日の柏レイソル戦(4-0で柏が勝利)でメンバー8人を入れ替えたことについても問題視し“公開事情聴取”する考えを明かした。ちなみに、これと被せるように川淵会長も、メンバーを大幅に替えたことについて「サポーターに失礼」といたくご立腹であったという。
これら一連の発言に対しては、当然ながら当の川崎サポーターから批難の声が挙がり、その輪は他クラブのサポーターへと広がっていった。要するに、犬飼専務理事や川淵会長が口にした「サポーター」とは、この人たちの「固定概念」あるいは「想像の産物」としか思えないわけで、リアルなJサポはこの件について声高に「否!」と叫んでいたわけである。その後、鬼武健二Jリーグチェアマンが「やむを得なかったと判断せざるをえない」と川崎サイドへの理解を示したことで事態は沈静化の方向へと向かった。が、一連の出来事は、外側から注視していて、いろいろと考えさせられるものであった。
いわゆる「犬飼発言」は、昨今政界をにぎわせている政治家たちの失言問題と、本質的に変わるものではないと思う。一言で「失言」といっても、たとえば性差別に根ざしたもの(柳澤元厚労相の「産む機械」発言)、あるいは歴史認識に根ざしたもの(久間元防衛相の「長崎への原爆投下は仕方なかった」発言)、いろいろとあるわけだが、この場合は「サポーター」という言葉を、自身の論理を補強するために使ってしまったことが問題であった(おそらく当人も、ここまで物議を醸すとは思わなかっただろうが)。
そもそも「サポーターとは誰か」という命題は、当のサポーターにとっても極めてセンシティブかつシリアスな「神学論的テーマ」である。それを非常に悪いタイミングで、しかも不適切に使ったものだから、かつて「Jリーグ舐めるな!」とコールした人々は、今度は「サポーター舐めるな!」と声を挙げたのである。Jリーグサイドが考えている以上に、この問題は根深い。それだけに、今回の失言問題の対応を誤れば、Jリーグとサポーターとの溝が今後、さらに広がる可能性も決して否定できない。
犬飼専務理事といえば(私は面識はないが)、かつては浦和レッズ社長として日本が世界に誇れるサポーター文化を創出し、Jリーグ入りしてからは「ACLサポートプロジェクト」を発足させた、大いにリスペクトすべき人物である。それだけに今回の失言は、残念でならない。とはいえ、名誉挽回のチャンスは、まだ十分に残されていると思う。
そう、男らしく謝るのである。「サポーター」という言葉を、当のサポーター(とりわけ川崎サポーター)の意思に反して安易に使用したことを詫びた上で、あらためてACL中東遠征という未体験ゾーンに挑戦した川崎フロンターレにねぎらいの言葉を述べ、さらに今後、過密日程問題、そして「ベストメンバー規定」についても見直しを図っていくことをJリーグ専務理事として約束するのだ。そうすれば、それまでのサポーターのブーイングも、一転、拍手に変わるのではないか(少なくとも私なら、その勇気と漢(おとこ)っぷりを称えて、手が痛くなるまで拍手するつもりだ)。
ここ最近、サポーターに頭を下げているのは成績不振のクラブ社長や監督ばかりで、サッカー界の上の人たちはほとんど謝ることをしていないように思う。ワールドカップの惨敗しかり、我那覇問題しかり、誤審問題またしかり。誰も謝らないから、サポーターのフラストレーションはたまる一方である。謝るということは、そんなに恥辱なのだろうか。そんなに自身の立場を危うくするものなのだろうか。自身の過ちに気付き、自ら潔く頭を下げることも、立派なフェアプレーの形だと私は思うのだが……。
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